【大竹市】寺岡公章市議 – 選挙は4年間の通信簿

【大竹市】寺岡公章市議-選挙は4年間の通信簿

今回は、大竹市議会の寺岡公章議員にインタビュー。

政治家になったきっかけや、子育て支援、議会運営などについてお話しいただきました。

寺岡 公章

1973年 広島県広島市生まれ。広島城北高校から大竹総合科学専門学校を卒業後、大竹市社会福祉協議会職員を経て、2002年に大竹市議会議員補欠選挙において初当選記事公開時現在、大竹市議7期目。

きっかけは、お世話になった人の言葉

もともとは人が相手の仕事がしたく、教育分野を志していました。なかなか叶わないなか、知人からの進言により社会福祉協議会の求人に申し込んで職員になりました。

政治家になったきっかけですが、地域でお世話になっている20歳くらい上の先輩の方に何気なく「将来、文部科学大臣になりたいんです」という話をしまして。その頃、私は20代中頃のまだまだ世の中の事を何も知らないヒヨッコでした。

先輩は「今から大学に入り直して官僚になるか、市議、県議、国会議員という手順を踏んでいくのがメインのルートじゃないか」というアドバイスをくださいました。

しばらくして大竹の市議がおひとり辞任することになった時、その先輩が当時の会話を覚えていてくださって、市議会議員補欠選挙の立候補についてお声がけくださいました。それを機にチャレンジした結果、当選の栄をいただきました。

議会の流儀に苦労

政治家になってまず大変だったのは、流儀がさっぱりわからなかったことですね。当時の地方議会は、今では考えられないほど「議会とはこうだ。こうあらねばならない。」という風潮が強く、前例主義の色合いが濃かったのを覚えています。

先輩議員がいう事は絶対で、会議中でも平気で叱られることもありました。私も市民の代表の1人であり、議会の一員として発言の重みは先輩議員と同等のはずでしたが、力不足もあり、自分らしさを発揮できる議会活動ができるまで時間がかかりましたね。

それを克服できたのは会派に入ってからでしょうか。最初の数年は一人会派で活動しており、たまに友好的に接してくださる先輩に誘われて勉強会にも参加させてもらっていました。いま振り返ると単なる数合わせだったのかなと受け止める事もできます。

その後、後輩議員が増えていく中で実際に自分で会派を組んでからは、先輩方とも同程度の重みで発言できるようになりました。会派に属しているというだけで議会全体の中での存在感が上がったと言いましょうか。情報の入りやすさも変わりましたしね。

結局議会は「」なんだという事を思い知りました。政策決定などで票が割れた時、6対5でも10対9でも数の多い方で決まるわけです。会派内での意見調整なども、今も昔も苦労しますが、一緒にやっている同僚だからこそ歩み寄ろうかともなります。

当時の自分の発言を読み返すと恥ずかしいものばかりですね。一人会派時代は恥ずかしいという事を指摘してくれる人もいませんでしたし。ただ、それにいま気づけているのは、少しは成長させてもらったかなと思っています。

議員になるために議会の流儀を知っている必要があるかどうかについては、一長一短あると思います。

何も知らない方が自由な市民感覚で発言ができますし、想いをぶつけられるんですよ。ただしそれは、同僚議員に迷惑をかける事もあり得ますし、自身が恥をかくということでもあります。

一方で市長や知事は、最初からある程度仕組みが分かっていないと、不用意な発言になって行政が混乱してしまうのでダメですね。

金のばらまきだけではない子ども政策

私はいわゆる子ども会あがりなんです。

高校生の頃からジュニアリーダー活動をして、20代で大竹に似たような中高生を中心としたグループを立ち上げて、今でも相談役みたいな事をしています。数年前からは一般社団法人を立ち上げて、子ども達に食やキャリア教育を通じた取り組みを始めています。

子育て支援で重要なのは、子どもを取り巻く環境についてもなんですが、根本にあるのは子ども達自身の育ちなんです。保護者の優遇ばかりしてても意味がないと個人的には思っています。もちろん育ちを学校に丸投げなんてもってのほかです。

子ども達が立派な大人になるために、いま何を提供する必要があるかという考え方を忘れてはいけません。

ただ、中には保護者を優遇することによって救われる子ども達もいるので、うまいことバランスを取りながら、「お金だけ配ってあとはご自分でどうぞ」とならないようにしなければなりません。

秩序を守り誠実に動く

市民にとって住みやすいまちにするためには、議員は政治に携わる上でのルールを確実に守り、秩序の下で誠実に動く必要があります。そして合議体としてのマナーやエチケットをお互いに意識しておかなければならない。

実はこれらのルールやマナー、全国を見渡すとあまりできてないなと感じる議員は少なからずいると思いますよ。

大竹市は、2019年の市議会議員一般選挙は無投票で終わりました。定数ちょうどの立候補数で全員が議員になりました。

これではいけない。なぜなら自分の4年の任期でやってきた事が正しいかどうか、市民の考えや感覚に近いのかどうか、わからないからです。

票がどうなったかによって地域や世の中の動きを感じられるし、投票結果は自分がやってきたことの通信簿ですから。

この通信簿がない無投票という現象は、次に何を努力していいのか、わからなくなります。だから、絶対に選挙はあった方がいいんです。町内会やPTAみたいな身近なところでも同じだと思いますよ。

幸い大竹市議会では、直近はきっちり選挙になりました。今度は法定得票数に足りない候補者がいて、結局欠員になるという恥ずかしい状況になりましたが。この件は「法定得票数」で検索してみてください。

※ライターより

2023年に行われた大竹市議会議員選挙の法定得票数・定数割れについては、当時の選挙結果速報記事にて詳しく解説していますので、よろしければぜひご覧ください!
大竹市議会議員選挙の開票結果速報!候補者情報も【大竹市議選2023】

鼓腹撃壌という言葉があるように、いい政治が行き届いていればこそ市民は安心して暮らせるという点では、市民と為政者のバランスっていうのは昔から変わらない妙があるのだと思いますよ。

若い世代の人たちへ – みなさんは社会の主役

若い世代への思いを語る大竹市議会の寺岡公章議員

大阪城を建てたのは豊臣秀吉ではなく、大工さんなんですね。古典的なジョークですが的を得ていると思います。おそらく為政者である秀吉は木材1本切っていないし、小石1つ運んでいません。

これを現代に当てはめると、市役所などの行政が予算の算段はしているけど、実際に何かをしているのは事業所や市民団体、市民個人なんだということです。市の職員は道路工事をしませんからね。さて、主役はだれでしょう?

若い世代のみなさんは自身の人生の主役として何をされますか。どういう人生を送るかは自分じゃないと作れなくて、他人のせいにすることはできません。

それは社会も一緒で、みなさん自身がその一員として社会を構成しているという事を忘れないでいて欲しい。

なので、選挙で投票する時はしっかり候補者の政策をみてくださいね。

大竹市は、幹線道路沿道で車に向かって挨拶したり、地域や団体に顔を見せて回ったら当選するまちとか言われて馬鹿にされることがあります。確かにそれに意味がないとは言いませんが、それさえやっておけば当選するって、なんか寂しいですよね。

若いみなさんには政策一番でお願いしたいです。皆さんの投票行為、もっと言えば出馬行為が社会を形づくるわけですから。

どうぞ、自分ゴトとして政治や選挙を捉え、みなさん自身で住みやすいまちを築いていただきたいです。

インタビュアーより

今回、寺岡さんへのインタビューを行いましたが、「政治家になっても、一人前の議員として力を発揮するのはなかなか難しかった」と聞いて、議員になっても市民のために動くにはいろいろな難しさがあるという印象を受けました。

また会派の所属する前後の動きやすさの違いについてのお話から、会派はそれほど重要なのだなと勉強になりました。議会は数が重要であるとのことでもあり、選挙の際は所属会派についてもきちんと見ないといけないのかなと感じました。

インタビューの中で「投票の際は政策をしっかり見てほしい」とありましたが、みなさんは政策を見て投票されていますか?私は、これをきっかけにより一層、投票の際政策で選ぶよう心掛けていきたいと思いました。

今回のインタビューでは、議会の実情などについてのお話を聞けましたが、他ではなかなか聞けない話だったと思います。

これからのインタビューでも普段聞けないことをお伝えしますので、次回もお楽しみに!

Youth Vote! HIROSHIMAのインタビュー

Youth Vote! HIROSHIMAでは、以下の2つの目的で政治や選挙の現場に携わる方々にインタビューを実施しています。

  • 政治・選挙の現場のリアルを伝えるため
  • 政治や選挙に対してのハードルを下げるため

詳細や実施方法、インタビュイー募集については、以下のページをご覧ください。
Youth Vote! HIROSHIMAのインタビューとは

また、他のインタビュー記事については以下をご覧ください!
インタビュー記事の一覧

この記事を書いた人

高橋辰昂

広島県広島市出身。 現在は東京でエンジニアとして勤務。 小学生時代に政治に興味を持ち、大学在学中に議員インターンシップを知り、参加・運営を経験する。 メディア運営に興味を持ち、地元広島の役に立ちたいという思いから当メディアを設立。
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高橋辰昂

広島県広島市出身。 現在は東京でエンジニアとして勤務。 小学生時代に政治に興味を持ち、大学在学中に議員インターンシップを知り、参加・運営を経験する。 メディア運営に興味を持ち、地元広島の役に立ちたいという思いから当メディアを設立。
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