今回は、広島県海田町の竹野内啓佑町長にインタビュー。
昨年11月の選挙で初当選された竹野内さんから、今までの経歴や選挙での思い出、そして海田町の未来をつくる政策についてお話を伺いました。
目次
竹野内 啓佑
広島県海田町出身43歳。大阪大学工学部卒業後、京都市役所に就職。その後、広島市役所に転職。2023年8月に退職後、その年の11月に海田町長選へ立候補、初当選。取材現在1期目。
小さい頃の海田と自分
僕が小さい頃の海田は、今のように東広島バイパスは通ってなくて、きちんと舗装がされていない道もありました。
今のように綺麗な住宅ばかり大きなではなくて、古い家と新しい家が同じ町に混在していたんですよね。
そして、人の息遣いが聞こえてくるような感じの町でしたね。
大きなマンションもそれほど多くなくて、人と人のつながりがありました。
そんな海田で育った私は海田小学校から、海田中学校、そして、広島大学附属高等学校に進学しました。もともと海田中学校に行く前にも、広島大学附属中学校を受験したのですが、そのときはご縁がありませんでしたね。
ただ、同じ小学校からの友達が地元の中学校に多く進学していたので、楽しい青春時代を過ごすことができました。
でも、どうしてもリベンジしたいという思いがあって、高校の時も受験し、無事合格を掴むことができました。
自分で言うのもなんですが、中学校のときはトップクラスの成績だったんです。しかし、高校では周りがみんな優秀で、ついていくのに必死でした。
性格がのんびり屋なので、「がつがつと勉強してトップを狙うぞ!」ということは考えてなかったですが、負けず嫌いなところもあったので、できるだけついていこうと努力はしました。
そして、高校卒業後は大阪大学工学部に進みました。
地球総合工学科という少し変わった名前のところだったんですが、そこで4つに分かれるコースの中から建築を選びました。
実家が工務店だったので、それ以外の選択肢は考えられなかったんです。将来、実家を継ぐことも想像しながら、親の期待に応えたいという考えがありました。
建築の道と古都「京都」
大学で建築を学んで、まちづくりに興味を持ち始めました。
そして、設計とまちづくり、両方ができる職業ってなんだろうと考えた結果、志望したのが公務員の世界でした。
実家をすぐに継ぐのではなく、社会に出て学んでみたいという思いは強かったです。そして、最初は広島ではなく、京都市役所へ就職しました。
僕自身、伝統的な建物が好きで、京都は建築を学ぶにはとても良い場所でした。景観を守るルールがあったうえで古い建物と新しい建物が調和し、自然に馴染んでいるところに魅力を感じました。
土地や気候など地域固有の風土や、周辺環境に応じた建物を建てるのが、その地域にとってよい建築だと思っています。だから、町屋だったり、伝統的な建物が、その土地とのどの様な関係性で建てられているのかを勉強したいと思っていたんです。
京都市役所では、主に設計の仕事をしていました。その中で上司から言われた「設計をするにあたって、周辺環境に応じたデザインをきっちりしなさい」という言葉は、職種が違う今でも強く意識しています。つまり、どこかのまちでやっていることを、そのまま、海田でやってもダメだということです。
広島に帰ってまちづくりに携わる
その後、京都市役所を退職し、広島市役所に転職しました。
自分は氷河期世代、いわゆるロスジェネの終わり辺りの世代なんですが、広島市役所の採用がずいぶん少なくて。そんな中で建築職の採用が数年ぶりにぽっと出たんです。
父から電話があって、その採用を受けてみないか、広島に帰って来ないかという提案をされました。
それを機に、京都で4年働いたのでそろそろ広島に帰ろうかなと思い、広島に帰ってきました。
ただ、まだまだ勉強したいことがあったので、実家に戻らず、広島市役所で働くことを選択したんです。
広島市役所でも建築職として、基本的には公共建築物の設計や工事管理をメインで行っていました。
ただ、広島ではまちづくりの仕事もやらせてもらえるようになったんですよ。
住民の皆さんと地域のまちづくり計画の作成に取り組みました。まちの将来像に沿って「こういう土地利用をしましょう」「こういう建物を建てるようにしましょう」と提案をしたり、支援をしたりということをしていました。
コンサルタントを派遣したり、自分で足を運んで出前講座を開いたりと、地元の方々とひざ詰めで計画づくりを進めたことが思い出になっています。
地元の方々の思いを実現する上では、建築や工事にかかわる部分だけでなく、企業誘致など過去に携わったことのない新しい経験もたくさんさせていただきました。
例えば、最近まち中に完成したサッカースタジアム近くの基町住宅団地では、高齢化が進んでいます。確か、高齢者が50%くらいだったでしょうか。そこでは、高齢になってもずっと住み続けたいというニーズに応えて宿泊機能付きの介護事業所を誘致したりもしましたね。
公共施設の建築とまちづくりは分野が異なる仕事です。ただ、どちらも現場の声を聞くというところは共通しています。
例えば公共施設の建設は、そこを使う人や管理する人がどのように利用していくのかを聞かないと設計出来ません。
それと同じでまちづくりは、そこに暮らす人々がどういう暮らしを望み、どんなまちにしていきたいのかという意見を聞く必要性があります。
それらを聞かないことには、計画の方向性や、どういう施設を誘致していくのかという具体的なことに結びつきません。
この、前提条件を関係者で合意していくというプロセスが重要であり、今の仕事を進めていく上で重視している点でもあります。
4月に昇進、8月末に退職、11月に選挙
8月末に広島市役所を退職し、11月の海田町長選挙に出馬しました。
私もやはり現役世代の一人ということもあり、あまり無職の状態で時間をかけて選挙に望むより、短期集中で行う方が良いと考えたので、こんな感じになりました。
体力や資金、それに自分や家族の生活もあるので短い間でするしかなかったところもあります。
前々から冗談っぽく、「いつか自分が町長になって、こんなことをしたい!」という夢を語っていました。
でも、若いうちに、そして熱い思いを持っているうちに選挙に出た方が良いんじゃないかと思い、7月末に家族へ思いを打ち明けたんです。
両親は、まず大反対でしたね。
公務員という安定した職業を捨ててまで、チャレンジするのはどうなんだという風に言われました。
海田町長選挙に限らず、選挙では現職(今回は前町長)が非常に有利だというのが通説ですから。
両親は、素人にどうにかなるようなものではないくらい難しいのではないか、落選した時に僕自身が傷つかないようにと反対していました。
それでも、時間も知名度もなく圧倒的に不利だと言われる中でも立候補することにしたんです。
自分自身がちょっと頑固なところもあるんですかね。
でも、世に問うてみたかったところもあります。
こんな若者が町についてこういうことを考えて、こうすれば町がもっと良くなるんじゃないかというところを、町民の皆さんがどう評価するのか、素直に問うてみたかったとの思いが強かったですね。
妻からは、落選したときの職探しを条件に、選挙への立候補を認めてもらいました。
子どももいるので、無職をずっと続けていく訳にはいきませんからね。
家族の同意を取り付けたあと、職場には7月末に報告して、8月末に退職となりました。
退職のご報告をして、すぐに辞めるのは社会人としてのマナーに欠けるので、1ヶ月の間できちんと引き継ぎをしました。
4月に昇進をして、違う部署に異動になって、8月末に退職という状態だったので、職場の皆さんからみると何を考えているんだって感じですよね。
唐突な退職になって、非常に迷惑をかけたのに、エールとともに温かく送り出して頂いた職場の皆さんには、本当に感謝しかありません。
政治の素人ながら、選挙までのスケジュールを見ながら、やるべきことを粛々とやっていけば、何とか間に合うのではないかという見立で動いていましたね。
最初で最後かもしれない選挙へ
選挙に臨む中で、選挙プランナーなどの参謀役がいた訳ではありませんでした。
とにかく地道に、こういうことを考えているんだという政策ビラをつくって、ポスティングをしていました。残暑が厳しかったですが、業者に頼まず、自分で町内を自転車で回りながら配布していました。
自転車で回りながら、町内の色んなところを見るということを大事にしていました。
町内には住んでいますが、仕事をしている間は、職場と家の行き帰りばかりでした。ぐるぐると町内を巡ることはなかったので、自分の地域を知る上で、非常に良かったなと思います。
駅前に立って、早朝の挨拶運動もしていました。ちょっとずつ皆さんの関心を集めながら、自分のことを覚えてもらおうと努力していました。何が正解か分からない中で、とりあえず「やれることは全部やろう!」みたいな感じで臨みましたね。
当然、支援してくださってる人や団体なんていなかったものですから、ほとんど個人戦でした。借金なんてできないので、貯金を取り崩しながら何とかやりくりしていました。
アーティストのソロ活動みたいな感じかな。ファンもいないし、路上でマイクを持ってるし、自分のお金で活動してるし…。
今考えると、似ているのかもしれないですね。
後援会の組織は作るつもりはなかったのですが、やはり形として必要だと思ったので作ることにしました。
そのとき、後援会長を誰かにお願いしないといけなかったので、中学の同級生の1人にお願いしました。たまたま、その同級生とはSNSで繋がっていて、ダメ元でお願いしてみたんですが、快く受けてもらえたんです。
また、町議会にも私の考えに共鳴してくださる方々が結構いらっしゃいました。そしてその方の支援者さんからも応援をしてもらったりと、徐々に認知度が、そして支援の輪が広がっていきました。
全員というわけではないですが、路上で手を振り返してくださったり、挨拶を返してくださる方もいらっしゃって、段々と顔を知っていただけてきているのかなという実感もありましたね。
幼少期から目立ったりするのが苦手なので、駅前で旗を持って挨拶をしたりというのも正直なところ恥ずかしさを感じたりもしましたが、後悔はしたくないのでやれることはどんどんやっていきました。
そして、いよいよ投開票日。選挙の開票は21時で、その時間にNHKのカメラがいる方が当選だという話を耳にしていたんです。
でも、待てど暮らせどカメラは来なくて、向こうの陣営に行ったという噂を21時半くらいに聞きました。
絶望感でいっぱいで、皆さんの前で何を話せばいいのかなと事務所でぼおっと考えていました。
でも21時50分くらいに、事務所の外から「よっしゃー!」みたいな声が聞こえてきたんです。
テレビをつけても、開票速報みたいなのはなくて、正直なところ半信半疑でした。
事務所の外に出ると、皆さんが凄く盛り上がる中、カメラがわーっと集まってきて「コメントをお願いします。」みたいなことを言われました。
僕は敗戦の弁しか考えてなかったので、勝利宣言してくださいとかコメントお願いしますとか言われても、ちょっと呆然としていましたね。
喜ぶというより、驚きが大きかったです。びっくりしたときって感情が抜けちゃうんだなと思いました。
海田に、賑わいと活力を
海田町は、成熟した町だと私は思っています。
交通の利便性も良いですし、自然環境も豊かで、広島市のベッドタウンとして発展してきたと考えています。
ただ、ベッドタウンがゆえに、日々の暮らしには困ることはありませんが、賑わいのようなものがあまりないという風にも思っているんです。
まずは、賑わいや活力を取り戻していきたいというところはありますね。
例えば、海田町には熊野神社という大きな神社があります。
僕が子どもの頃にそこで行われていた夏祭りには、縁日みたいな感じで屋台がたくさん並んでいたんです。
道路を歩行者天国にして、屋台が両側にひしめき合っていました。広島市のとうかさんに近い感じですかね。
祭りとしては結構大きかったんですが、そのにぎわいは今はもうすっかり無くなってしまいました。
今の子どもたちは、そういうお祭りだとか、幼少期をこの町で過ごす中で、楽しかったと感じる思い出が少なくなっているんじゃないかと心配しています。
こういったイベントや祭りをするときに、行政だけじゃなくて、民間企業や町の団体、そして住民の皆さんと連携しながらやっていきたいと考えています。
でもそれには、日頃から住民の皆さんが顔と顔が見える関係を築いていくことが大切なんだと考えています。そんな関係を築けるよう、もっと交流できる場所があってもいい。
そこで、町民のみなさんがふらっと立ち寄れる、家でも職場でもない、「サードプレイス」の整備を思いつきました。
スターバックスの誘致を公約で掲げたのは、その1つです。他にも、滞在型の新しい図書館の整備なども検討しています。
様々な年代、属性の人たちと対話していく機会を増やしていき、町の活力を高めていきたいと思います。
若い世代へのメッセージ – 選挙を推し活に
僕も若いときには、選挙に行ったから何か変わるとは思っていませんでしたね。
日々生活している中で、政治に関わっているという実感を持てていなかったんです。
でも、政治はやっぱり生活に密着しているんです。
現在の自分の生活に不満があるのなら、それは政治によって変えられると考え、意見を言っていく。それが誰にでもできる政治の参加の仕方です。
なので、まずは自分の考えに近く、意見を聞いてくれそうな候補者を見つけること。または、自分の考えに遠く、意見を聞いてくれなさそうな候補者を外していき、最後に残った候補者に投票することから始めてみてはどうでしょう?そして、選挙に当選した人が任期中にどのような行動をしたのかを点検して、また投票をする、これの繰り返しです。
自分の投票した人が当選後に思っていた行動ができなかったとしても、間違ったと思う必要はありません。
もしも間違ったなと思ったら、次の選挙のタイミングで別の人に投票することで乗り換えていけばいいんです。
だから、まずは恐れることなく投票してみてください。
「推し活」という言葉があるように、ファンになってもらうために政治家は、日々頑張るだけです。
僕はその中で、皆さんとコミュニケーションを取りながら、「一緒にまちづくりをしようよ!」という考えを共有していきたいですね。
インタビュアーより
実はこのインタビューのあと、新しくなった海田町役場新庁舎を案内して頂きました。
その中で私は、議場に人生で初めて足を踏み入れました。
誰もいないのに緊張感のある空気に、神聖さを感じました。
竹野内さんが「良い香りだよね。まだ、木の匂いがするんだ。」と言われたのですが、そのときの竹野内さんは建築の技術者の目をしていました。
建築に関わってきた経験で、どのような仕掛けをつくっていくのか。
なんだかわくわくする海田町、そして竹野内さんにこれからも目が離せません!
Youth Vote! HIROSHIMAのインタビュー
Youth Vote! HIROSHIMAでは、以下の2つの目的で政治や選挙の現場に携わる方々にインタビューを実施しています。
- 政治・選挙の現場のリアルを伝えるため
- 政治や選挙に対してのハードルを下げるため
詳細や実施方法、インタビュイー募集については、以下のページをご覧ください。
Youth Vote! HIROSHIMAのインタビューとは
また、他のインタビュー記事については以下をご覧ください!
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