今回は安佐南区選出の灰岡香奈広島県議会議員にインタビュー。
20代で議員になったきっかけから、長かった落選時代、そして県議として今、考えていることを教えて頂きました。
目次
灰岡 香奈
1983年、山口県玖珂郡和木町生まれ。広島修道大学卒業後、2009年に和木町議会議員に26歳で初当選。2013年と2016年には、参議院議員選挙に広島県から挑戦するも惜敗。その後、2021年の広島県議会議員補欠選挙にて、広島市安佐南区より当選。現在2期目。
見えなかった将来の夢
高校時代は将来の夢がなく、友達と同じ大学というところで、修道大学に進学しました。
山口県和木町の出身ですが、最初の2年間は実家から母の車で大学に通っていました。和木町から修道大学までは1時間弱で行けるので、授業を2限目からに遅らせながら通っていたんです。しかし、この通学に2年で限界を感じ、広島市西区に引っ越して、2年間はバスで通学しました。
大学時代は色々なバイトをしました。印象に残ったバイトは電子ピアノの販売員ですね。大学3~4年のときに、週末の電気屋さんで、スーツを着て販売していました。ピアノを何台売るかという追い込みがあって精神的に参ることもあり、こんな大変な仕事なんだと痛感させられましたね。
でも、社会人に近づくにあたって、社員さんなど大人と関わりながら仕事ができたというのは思い出になりました。
大学を卒業しても、自分に何が合うのか、何がやりたいのか、正直分からなかったんです。そんな状態で色んなことを経験する中で、今に繋がるきっかけに出会いました。
飛び込んだのは政治の世界
ある方から選挙のボランティアに誘われて、面白そうだからやってみようかなと興味本位で参加しました。
私の中で正直、政治家って偉そうで遠い存在だと思っていました。
でもその候補者が、自分が思ったよりも凄く謙虚な方で、私の政治へのイメージを覆す存在になったんです。低姿勢かつ誠心誠意に応援してくださる方に向き合われる姿に、政治とはなんだろうと思い始めるきっかけになりました。
そのころから一貫して、政治に関わるなら、地元からという意思が強くありました。
和木町は大竹と岩国の間にある小さな町なんです。7000人弱の方が住んでいて、大きな企業もあったため、岩国市と合併しなかったことが話題にも挙がりました。単独町制で、学校は給食費が無料、冷暖房も完備で裕福な町と呼ばれていました。
まだ和木町が和木村だったときに、曽祖父が村議会議員を20年勤めていたということもあって、挑戦するなら和木町からという思いもあったんです。
政治に挑戦したいと言うと、両親も周りの友達もびっくりしていましたし、反対する人もいました。しかし、親と同世代の議員が多い中で20代を含めた若者の声を反映できるのは、自分にしかできない役割だと考えて、政治の道に進むことを決めました。
その後、2009年に補欠選挙があり、そこで初当選をしました。
議員として最初の一歩だったし、まだ26歳で学生の延長線上みたいに思われる方も多かったと思います。そんな当時、色んなことを学ばせてもらう中でひとつ、原点にもなった思い出があります。
議会では一般質問というものがあります。私は、まずはこの一般質問に力を入れていました。
ある日の一般質問で、町の運営は町民の皆さんからいただいた税金で行うのだからその使い道を知りたい、町の予算などを作り上げていく編成過程を公開してほしいと要望をしました。
すると当時の町長は、「前例にないので、できません。」と。
前例がないからこそ、取り組んだら良いんじゃないかって思ったんですが、それ以上言えなかった自分を今でも反省しています。
そしてこの一件は、色んな反発ももちろんありながらも、新しいことにチャレンジするときは前例がないことをやっていかないと変わらないんだな、という決意にもなりました。
支えとご縁の8年間
町議を辞めて山口県議会議員選挙に挑戦し、落選した時期に橋下徹さん率いる維新の会が立ち上がりました。私はその維新の会がつくった維新政治塾に応募し、1期生となりました。
当時、大阪に何度か通いながら、政治活動と勉強をしていたのですが、山口県から出馬した衆議院選挙は落選という結果でした。
その後も地元和木町で活動していたとき、当時維新の国会議員から、修道大学の卒業生なら広島で選挙に挑戦しないかと声をかけて頂きました。
山口から広島に住民票を移すことはもちろん、今までの選挙とはまた違った選挙に挑戦をするということは自分にとっても大きなものでした。時間もかかりましたし、一大決心だったと思います。
私が広島での活動をスタートさせてから、お世話になっている人はたくさんいますが、中でも支えていただいたのは修道大学OBの皆さんです。
拠点が変わって、いわば地元ではないという中で同世代から70、80代の先輩まで多くの方々とのご縁は私にとって宝物です。
また新たなスタートへ
広島に移ってからは、自分自身の生活のために弁護士事務所や建設事務所などで働きながら、選挙の準備をしていました。職種を選んで働くというより、政治活動をすることに理解がある方のもとで働かせてもらっていたんです。
基本的には平日に働き、土日はイベントに参加させてもらったり、政治活動をしたりの生活をしていました。急な出張なども認めて頂いたので、本当に支えてもらっていたと思います。
そして、令和2年に無所属になりました。国政選挙を続けたとしても自分はもう無理だと判断したんです。30代のほとんどを費やしたという感じですね。
広島で政治活動を続けたいと思っていたときに、いわゆる大規模買収事件がありました。それに伴い衆院選の自民党の第3区の公募があったので、手を挙げましたが、選ばれませんでした。
その時、自民党で頑張りたいという意思表示になりました。その後、自民党の公認もいただいて安佐南区の県議の補欠選挙に立候補し、当選しました。
今年、統一地方選があったため、2回目の選挙がありました。選挙の大変さをまた、痛感しました。
落選時代から得たものがあまりにも大きかったんですが、それらが土台となり、今があると思っています。
選挙って、一人では何もできないものです。支えてくださる方がいるからこそ、活動できます。以前、ある人から言われた言葉があります。「選挙と書いて迷惑と読むんだ。色んな人に迷惑をかけて、選挙をしていくんだ。」とその方はおっしゃられました。
多くの選挙を経験したと同時に、多くの人にご迷惑をおかけしたんですが、今の私は落選時代によってできていると思うので、大切な期間だったと思います。
暮らしを守るために
安佐南区では、大雨や土砂災害などの被害が課題となっています。
私の事務所は長束にあるのですが、ここは大雨が降ると浸水が起こる地域です。広島県が排水ポンプを新たに作りましたが、それでも浸水してしまいました。
そういった経緯もあり、長束は、住民の皆さんからは、雨が降っても浸水しないということを、一番要望として受けている地区でもあります。
他にも課題はありますが、地域ごとに問題は変わってきます。
例えば大町は土砂災害の被害を受けやすく、砂防堰堤を早くつくってほしいという声があります。過去にも祇園北高校の上で、雨のため土砂が崩れてしまいました。
そこで、町内の皆さんからの土砂を防ぐ砂防堰堤を作ってほしい声を聴きながら、県の担当の方や西部建設事務所に要望を続けています。
今、広島県の砂防堰堤を含めて、どういう方向で進めるのかという計画があります。この計画に載せてもらえないと工事ができないので、それを見据えて行動していかないと駄目なんだと、当選してから勉強しているところです。
こういった地域だからこそ、防災・減災対策は力を入れているところの1つです。
ただ、県の仕事と市の仕事って範囲が違うんです。いただいた要望も、市の管轄であれば市議の先生や区役所に協力をお願いしたりとか、県と市が対立するのではなく、しっかりと連携をとり、皆さんの暮らしを守ることが最優先です。
実際の声を政策という形にするために、1つ1つできることをやっていきたいと思っています。ただ、まだできないこともあると痛感することも日々ありますね。
なので今回、1番要望が多い災害対策に力を入れて取り組みたいと思い、建設委員会委員として、1年間担当させてもらってます。この委員会に女性はちょっと入りにくいかなと思ったんですが、意外にも結構いらっしゃいました。色んな分野に広い視野を持つことが必要ですので、本当に頑張っていきたいですね。
女性の自分だからこその目線で
防災・減災対策はもちろんのこと、女性に特化した政策は常に心がけています。私は今、40代で、周りは子育てをしている方がとても多いです。
女性がどうやってのびやかに暮らして、子育てができたり、独身であってもいきいきと暮らせたりできるのか、女性目線で考えていきたいです。
また、広島県は2年連続で転出超過が1位となっています。その中身って基本的に女性が多いんです。しかも、20歳~34歳までの数は、他の世代と比べて頭1つ違うほど多いことがデータに表れています。
なので、若い世代の女性が広島県に残ってもらうための政策、広島県に来てもらうための政策が必要だと思います。ただ、それには子育てに特化した政策だけでなく、同じように独身の方へ特化した政策も考えることが必要かなと考えています。
色んな人の幸せのために
議員として、日々どういう活動をしているのかをしっかりと発信していかないといけないと思っています。より、身近に感じられる議員になるために、もっと力を入れていきたいところです。
SNSが繋がっている方はアクションを起こしてくださる方も中にはおられます。でも、その方々は応援をしてくださる方全てではないんです。
というのも、この前、とあるイベントに参加した際、議員として紹介もしてもらいました。イベントが終わったあと、「応援しています。」と何人かに声をかけて頂いたんです。声は出さないけど、応援してくださる方の存在に改めて気付きました。
誰がいつ私を見てくれているのか分かりませんが、見ている、見ていないに関わらず、本当に色んな人の幸せを祈って活動していきたいです。
まだまだ、政治の世界でも若輩者なので、多くの人から学びながら、大きく成長していきたいです!
若い世代へのメッセージ – 政治・選挙を家族の話題に
若くして政治に興味がある人には共通の特徴があると私は思っています。その中の1つに、家族と選挙の話をしている若い世代は、選挙に行く人の割合が高いんじゃないかなと感じています。
家族でご飯を食べながら、政治・選挙の話をすることは、投票率の向上にはすぐに直結しないでしょう。けれど、政治に関心を持つために必要なことだと自分の中で思ってるんです。
候補者が当選したときに、自分に何をしてくれるのかを基準に選ぶのは当然のことです。インスタを見て、すぐに投票所に行こうとはなかなかならないと思います。
若い世代の政治・選挙の認知度を上げることは課題ですが、若い世代に興味を持ってもらう工夫も必要です。その工夫は我々、議員もするべきことですが、選挙に行きたいと思ってもらうための原点として、食卓での会話に政治・選挙の話をすることが必要だと思うんです。
家族や学校の輪の中で、政治の話には触れない方がいいという、線引きが今もあると私は勝手に思っています。正直なところ、自分が学生だったときは、友達や家族とそんな話が出てきたことはほとんど無かったです。
まだ続いている線引きを失くすために、自分が関わった人に1つでも政治の話をしようと心掛けています。
政治の話というと固くて重いという印象になりますが、地域の困りごとを気軽に話すだけでも政治に繋がると思いますね。
インタビュアーより
インタビューが始まる前に、灰岡さんから
「私も訊きたいことがあるので、インタビューが終わった後、少しお話しませんか?せっかく、若い世代と話せる機会なので!若い世代と話すときは何か1つ持ち帰るということをモットーにしているんです。」
ときらきらした目で言われました。インタビューを終えて、今振り返ると、この行動1つに灰岡さんの全てが詰まっているような気がします。
灰岡さんのインタビューで何度も登場した言葉がいくつかありますが、その1つが「学ぶ」という言葉です。常に情報や、自分の糧になるようなことは取り込もうというガッツがまさに、最初の言葉にも表れています。
私はこんな風に学びに貪欲だったかなとこの記事を書きながら、ふと自分のことを振り返っております。私は幼いころから、「学ぶ=言われたから覚える」という受動的な態度を取ることが多かったと思います。灰岡さんの能動的な学びへの姿勢に私は、今更ではありますが、反省しております。
これからも、政治・選挙について学びながら、みなさんに新たな学びを届けられるような記事をつくれるように、がんばります!
Youth Vote! HIROSHIMAのインタビュー
Youth Vote! HIROSHIMAでは、以下の2つの目的で政治や選挙の現場に携わる方々にインタビューを実施しています。
- 政治・選挙の現場のリアルを伝えるため
- 政治や選挙に対してのハードルを下げるため
詳細や実施方法、インタビュイー募集については、以下のページをご覧ください。
Youth Vote! HIROSHIMAのインタビューとは
また、他のインタビュー記事については以下をご覧ください!
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