【東広島市】高垣広徳市長 – みんなで進めるまちづくり

【東広島市】高垣広徳市長 - みんなで進めるまちづくり

今回は、東広島市の高垣広徳市長にインタビュー。政治意識の芽生えから出馬までの経緯、新しい施策に次々と取り組める原動力などについてもお話しいただきました。

高垣 広徳

1953年、尾道市生まれ。大阪大学工学部土木工学科を卒業後、1976年に広島県庁入庁。広島県東京事務所都市課長や藤田雄山元広島知事秘書、東広島地域事務所建設局技術次長、土木局長などを歴任。2013年に広島県庁を退職後、株式会社サタケに入社し、その後2014年には広島県副知事を務める。2017年に前東広島市長の退陣に伴い出馬要請を受け、翌2018年の東広島市長選挙に当選。取材時現在2期目。

気づかぬうちに、仕事の、世の中の役に立つ経験を積み重ねてきた

気づかぬうちに、仕事の、世の中の役に立つ経験を積み重ねてきた

自分の生い立ちを遡ってみると、まずは小学校時代からですね。小学校で児童会長ってあるじゃないですか。私は児童会長によく選ばれたんですよ。

そして、中学校になると生徒会長に立候補するという話があったんです。2年生が6クラスあって、各クラスから選ばれた中で選挙をするという。

そこで、おだてられたんでしょうね。お前がやってみろというので、立候補したんです。立候補すると、体育館にみんなが集まった前で演説をするわけですよ。

初めての演説というのはそれがきっかけだったかな。そこで、やるからには、いかにみんなに聴いてもらえる演説をするかというのを、思ったんですね。

その結果、何を話したかは忘れましたが、みんなが拍手喝采という感じで生徒会長に選ばれたんです。これが最初の選挙の体験でした。

その後、高校は福山の誠之館に進学しました。誠之館は元々は藩校で、いわば藩の官僚を養成する学校だったところです。

誠之館の名前の由来は、中庸の「誠者天之道也,誠之者人之道也(誠は天の道なり、これを誠にするは人の道なり)」という一説から来ています。

実際に東洋学を学ぶ機会は無くても、校風の中で、「自分は、世の中のためになるよう何をするか」、「何のために生まれてきたのか」、そして、「最後は世の中のために尽くすべきである」という考え方が生まれてくるわけです。

だから、大学進学においても、私の中でより社会に近い学問だった土木工学を学ぶべく、大阪大学工学部土木工学科に進学しました。

当時はちょうど、日本列島改造論みたいな話もあった頃でした。バランスの取れた国土をどう作っていくかという議論が非常に盛んな時期だったんです。

だからこそ、土木工学を学び、それによって世の中のために役立つ仕事ができればという考えでした。

そこから、ずっと建設に関わりながら、東京に行き、政治の世界を知り、知事の秘書になり、より身近な形で政治の世界に入っていったという感じです。

振り返ると、なんというか運命論的に、最終的にはこの仕事を通じて世の中のために本当に役立つような、そんな経験を自分でも気づかないうちに積み重ねてきた

結果的にそんな感じがしますね。

なるべくしてなったと言えるかはわからないけれど、これまでの経験や、色々な人からの支援・応援をいただいて、今があるんじゃないかという気がしています。

政治に対する意識は、現場で芽生えた

政治に対する意識は、現場で芽生えた

36歳のときに、3年間広島県の東京事務所に勤務したんですよ。

そこで、国の政策はどういう形で作られ、世の中をどう動かしていくのかを垣間見ることになったんです。

役人というのはある意味、政治が決めたことを法律に基づき粛々と執行していくというところがメインですよね。
一方で、政治というのはその枠組みなどを作っていく。

そこで、国民の様々なニーズを踏まえつつ、どういうふうに全体としての施策を作っていくかという場面を見たわけです。

やっぱり、国を動かすというか、世の中を動かし、いい方向に持っていこうとするのも、政治の力無くしてはできないなと思うわけですね。

そういった現場を見て、広島県庁に帰ってきた年の11月、参議院議員から知事に当選された藤田雄山 広島県知事の秘書になりました。

藤田さんは言ってみれば政党人で、お父さんも参議院議長をやられてて、本人も公務員からではなく民間企業から政治家になった人です。まさに政治の世界からでてきた、まさしく政治家でした。

そんな人に仕えて、県内の首長さんや議長さん、そういった懇談の場にも当然陪席しました。
そうすると、地域の熱量を政治家がどういうふうに受けて行政を動かしていくのかという場を見るわけです。

私自身、公務員を志したのですが、元々土木工学の専攻です。やっぱり国づくりに対して、ハード面でどういうふうな国を作っていくのかというところに、ものすごく感心があるわけですよ。

私も公務員として豊かな地域づくりのためにインフラ整備などから携わった中で、段々と思うことがあって。

それはやっぱり、みんなが本当に住みやすいと思ってくれるまちづくりを政治の世界でやっていくのは政治家としての1つの役割だということ。そして、公務員の延長線上にはそういうものがあるということを、おぼろげながら感じるんです。

2度の出馬要請

2度の出馬要請

50歳のときに、とある市から次期市長の出馬要請をいただいたんです。

ただ、政治家になるにはまわりの賛成が必要だし、当時はまだ機が熟してなかった。
私が未熟だったということや、公務員としてまだやる仕事が残っていたという状況もあり、断念したんです。

そして、役人として土木局長や副知事を務め、広域自治体のある意味事務方のトップとして色々と差配する中で、様々なことを勉強しました。

そんな中で、副知事の任期最後の年に、前東広島市長が健康上の理由で急遽退陣される事になり、ある人から出馬してくれと一報いただいたんですよ。

そのときは正直、ありえないと思いました。だってここには、血縁も地縁もないから。平成14年・15年に建設局の次長をして、1年間サタケで勤務したという3年間のご縁以外はないわけですよ。

なのでその電話は、ありえないという話で終わりました。しかし、そうしているうちに経済界の有志の方も、ぜひ出馬ということで来られて。

任期途中ですから知事にご相談して、妻とも話をした中で、これはもう天命なのかもしれないと思ったんですね。チャレンジしようということで立候補を決めました。

初回の選挙はとにかく無我夢中

初回の選挙はとにかく無我夢中

期間としては1ヶ月もないくらいでの選挙戦だったんです。
12月27日に記者会見をして、東広島市の総合計画を見つつお正月の三が日の間にビジョンを固めたり。

その時点では、無風の選挙だろうという雰囲気でした。
ただ、年が明けて1月中頃に市の職員の方が立候補ということで選挙戦になったんです。

そこからわずか半月の選挙で、沢山の方々に応援していただき、後押しの中でとにかく無我夢中で走りきったという感じでした。

選挙でおもしろいところとして、私もまわりも段々と熱量が上がってハイテンションになってくるんです。

皆さんに後押しをしてもらう中で、過去に感じたことのないような、自分にそんなエネルギーがあったのかというようなエネルギーが湧いてくるというか。
皆さんのエネルギーが自分の中に入ってくるんです。

そういう意味でも、やっぱり選挙というのは本当に重要だと思います。無風の選挙のほうが楽だったかもしれませんが、選挙での戦い、それを通じて政治家としての覚悟ができるんじゃないでしょうか。

だから、選挙があってよかったなと思っています。

学生を活かした市政へ

学生を活かした市政へ

広島大学の移転を契機に市制を敷いて50年が経ちます。その間に、近畿大学工学部や広島国際大学、エリザベト音楽大学と多くの大学が立地し、地方としては大変珍しい市だと思うんですよね。

そして、東広島市の人口構成として、常に1.7万人ほどの学生がいます。この数は人口の1割弱を占めていて、東広島市は中四国で一番平均年齢が若い市なんです。

しかし、ここで4年なり6年なりを過ごしてくれた学生が東広島市とどう関わりを持っていけるかというと、ほとんどはこの地で就職はしてもらえない。市内就職率は3%くらいですよ。

だからこそ、市民のうち大きな割合を占める学生と、市がどう関わりを持っていくかが大変重要だと思ったんです。

学生にはエネルギーがありますから、それをぜひ少し地域にある課題解決に向けて役立ててほしい。
そういう場を提供しようという試みは以前からありましたが、私になってから一気にアクセルを踏みました。

その中でのいろいろな取組があり、例えば学生も研究者も含めてまち(タウン)と大学(ガウン)が同じベクトルでまちづくりをするTown & Gown構想だったり。

一方で、学生や若い世代の生の声をどうやって集めるか。そもそもの接点が少ない中で、これは大きな課題です。

なので、1つの方法としてSNSで市政を発信していこうと。そこに学生がリアクションしてくれればコミュニケーションが生まれますよね。

東広島在住の人とできるだけ多くつながろうというところで、積極的にやったわけです。Facebookで広島大学という人を見るとすぐに友達申請して、今は結局5,000人位になっているんですよね。

そういうつながりがあると、そこからいろいろなリクエストが来たりもするわけです。例えば、志和にあるホタル荘の茅葺きプロジェクトをやっていて、クラウドファンディングをするから市長の応援メッセージがほしいとか。

こういう繋がりができると、1つのやり方としてありだなと思います。ただ、これは私個人と学生とのつながりなので、市ではTGO(Town & Gown Office)アプリというのを一緒に開発して組織化したものを作っています。

その中で、まだローンチされていないですが、SNSみたいな形で学生との合議体を作り、若い人たちの意見を市政に反映できるようにしたいなと。

少し話が変わりますが、前回の選挙で市議会議員の方も若い人が多くなりました。若い議員が大学の皆さんと会話して、そこからも要望が上がってきたりします。

そういう意味で、デジタルの世界でもリアルの世界でも仕組みができてきています。まさに学生のまちとしての1つの市政のやり方みたいなものが、なんとなくできつつあるかなと感じているところです。

挑戦の原動力は時代の変化とたくさんの協力

挑戦の原動力は時代の変化とたくさんの協力

私が就任して1年目に、市の総合計画を見直しに入ったんです。そこで立てた2本柱の1つが、世界に貢献するイノベーション創造のまちへというものです。

時代の流れとして、世界的な課題としてのSDGsと、それを解決できるかもしれないようなロボットや生成AIなどの新しいテクノロジーを活用するDX(デジタルトランスフォーメーション)という2つがありました。

この2つの流れは、うまく活用することでこれまでの地域課題を、更には人類課題・地球に住む一人ひとりの課題を解決できるような時代になっているというのが私の直感だったんです。

これを政策として立てていくうえで、やはり大学と一緒にやっていくことが重要だと考えました。市だけの力じゃできないこともありますから。
それが、Town & Gownでありコモンプロジェクトでありというところです。

人によっては、なぜ大学にそんなに関わりを持つのかという意見もあります。もっと市民生活に直結したことに予算を投資してほしいという意見ですね。

ただ、大学との連携はある意味での未来投資であり、東広島だけでなく同じ課題を持つ全国の、そして世界の自治体も共有する部分があるんです。

更には、グローカルに貢献できる大学でありたいという広島大学のお考えに私も共鳴したわけです。

国や県の力を借りてここまでのまちになったからこそ、今度は外部に対しても貢献していけるまちでないといけないというところですね。

幸いにも、そういう人的資源や、大学や研究機関のような物的資源もあるのが東広島市ですから。

もう1つの柱が、生活価値を創造するまちへというものです。こちらは、福富を中心に中山間地で、既にプロジェクトが動き出しています。

人口は減っているけど自然豊かな地域から、もう一度、かつて里山の中にあった精神的豊かさから生まれる生活の価値を提案していこうという取り組みです。

昔の総合計画には、これらの柱に対する具体的なプロジェクトはなかったんですよ。新しいことですから。

でも、こうしてアドバルーンを上げて、いろいろな人が参画してくれました。広島大学には複数社が入る共創コンソーシアムもあるし、中山間地でのプロジェクトにも民間企業が複数社協力してくれています。

もしかしたら、10年前に同じことを行っても誰もついてきてくれなかったかもしれません。しかし、今は時代が移り変わっています。

役所がなにか計画を作って引っ張っていくのではなく、みんなで考え、知恵をいただきながらまちづくりをしようという流れになってきたんです。

これは、多分これまでに日本全国でも無い、新しいまちづくりのスタイルだと思います。

若い世代の人たちへ – 行動を起こし、声を上げなければ

若い世代の人たちへ – 行動を起こし、声を上げなければ

今、日本はとても重要な時期にあるような気がします。

我々は非常に豊かな環境で、GDPが世界4位に落ちたとはいえ、その割にみんながまあまあ幸せに生きている。
ただ、それは本当に政治が、理想的な国家に向けてちゃんと最適な配分をしているかというと必ずしもそうじゃないですよね。

これまでの日本は、財政的に必ずしも豊かでない時代の中で仕組みを作ってきました。だから、個人が負担をする上で国が一定の支援をするという枠組みが当たり前になっています。

その間、若い世代が声を出さなかった結果として、ずっと増えてきた税収は違う世代にサービス提供がされていっていますよね。

そのツケが、少子化であったり、大学の授業料値上げ問題であったりという形で出てきています。

だからこそ、その配分を政治に変えてもらう必要があります。ただ、そのためには若い世代が行動を起こす必要があるんです。

国際情勢で言えば戦争などもあり、極端な話、学徒動員みたいなことも可能性として起こりうるような状態になってきましたよね。

知らないところでそんな風になってもいいのか。そういう認識を若い世代が持ち、政治を監視する必要があると思うんです。

そういう意味で、政治に関心を持ち、それを投票行動に移すことは非常に重要だと思います。自分を取り巻く環境が突然変わってしまう可能性がありますから。

国政においても地方自治体においても、学生の声が上がれば、その声に対してより住んでもらいやすいような、あるいはその地で働けるような環境づくりをやっていかなければいけなくなります。

言い方は悪いですが、黙っていたら声の大きい方にしか金の配分は行かないということなんです。

だから、そういう声をどんどん上げてほしいですね。
声を上げたり、理想的なまちづくりに共感したりしてもらうためという意味でも、情報を発信しているので。

一部には、学生は市民じゃないと思ってる人もいるんです。4年か6年いるだけの学生ではなく、ずっと住んでいる我々が市民だというようなね。

でも私は、学生も外国人も、一緒に住んでいる人はみんな市民だと考えています。だからこそ、そういう人にちゃんとサービスが提供できるまちにしたい。

そのためにも、学生から見て「もっと私たちになにかしてくれ」みたいな声をどんどん上げてほしいです。

インタビュアーより

私自身も昨年まで広大生として東広島に住んでおり、お話にもありましたが、市長から突然Facebookの友達リクエストが来てびっくりしたうちの1人だったりします。

そんな中で実際にお話をさせていただいて感じたのが、想像していた以上の実行力と瞬発力でした。

時代の流れを読み、新しい挑戦をしていくというのは、文字に起こすと簡単に見えますが、実際には難しいものであり、多くの人を巻き込み、一緒に動かしていくというのはリーダーとして頼もしい姿だなと感じました。

Facebookの活用なども、市長個人として様々な意見を聞くために積極的に始め、それを組織として仕組み化していくという流れも、先ず隗より始めよという言葉そのものであり、見習わせていただきたいと思います。

私たちYouth Vote! HIROSHIMAも負けずに、どんどん新たな挑戦をしていかなければなと決意を新たにする機会でした。

Youth Vote! HIROSHIMAのインタビュー

Youth Vote! HIROSHIMAでは、以下の2つの目的で政治や選挙の現場に携わる方々にインタビューを実施しています。

  • 政治・選挙の現場のリアルを伝えるため
  • 政治や選挙に対してのハードルを下げるため

詳細や実施方法、インタビュイー募集については、以下のページをご覧ください。
Youth Vote! HIROSHIMAのインタビューとは

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インタビュー記事の一覧

この記事を書いた人

武本 裕紀

Youth Vote! HIROSHIMA 共同代表。 広島在住のフリーランス。 大学進学で広島にやってきて今に至る。 在学中の経験から政治に興味を持ち、政治家の広報を手掛けたり、選挙を手伝うなど様々な現場を経験。 気軽に政治に触れられる機会が足りないとの思いから当メディアを設立。東広島市明るい選挙推進協議会理事。
著者情報ページ

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武本 裕紀

Youth Vote! HIROSHIMA 共同代表。 広島在住のフリーランス。 大学進学で広島にやってきて今に至る。 在学中の経験から政治に興味を持ち、政治家の広報を手掛けたり、選挙を手伝うなど様々な現場を経験。 気軽に政治に触れられる機会が足りないとの思いから当メディアを設立。東広島市明るい選挙推進協議会理事。
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